2015.6.19(6日目)31,000歩
今日は、私が、ず〜っと、行きたかったプラハ観光です。

世界遺産プラハ歴史地区〜プラハ城・聖ーヴィート教会・旧王宮・カレル橋・旧市街・旧市庁舎・市民会館・ミュシャ美術館

 プラハメモ
チェコ共和国首都であり、同国最大の都市である。中央ヨーロッパ有数の世界都市人口は、約120万人。
第二次大戦後は、社会主義国チェコスロヴァキアの首都となる。1968年にはプラハの春と呼ばれる改革運動が起こるが、
ワルシャワ条約機構軍の侵攻を受け、改革派は弾圧された。
しかし、1989年ビロード革命により共産党政権は崩壊、1993年チェコスロヴァキアが分離しチェコの首都となる。




今日も、天気予報は、イマイチでしたが、プラハ城で、少し降った程度で、その後日が差したりと、傘を使う事は、ありませんでした。

【世界遺産】プラハ歴史地区観光後、初めての長い自由行動でした。

自分のペースで プラハを観光し、無料Wi-Fi使える所で休憩したり
デパートを覗いて買い物したり
旧市庁舎の塔に登り、プラハ市街の景色を眺めたり、などなど‥
又、道がわからず、現地の人に聞いたりしましたが、言葉は、通じませんでした。
でも、自由行動‥を楽しめました

18:45までに火薬塔に集合すれば、オプション帰りのバスに乗ってホテルに帰れるとの事で、
ほとんどの人が、その時間に集まり、ホテルに帰る事ができました。(タクシーだと、10,000円位かかるようなので、)
(もっと、ゆっくりしたい人などは、プラハ空港のホテルまで3・4組が自力で帰ったようでした。

プラハ城メモ
首都プラハのブルタワ川沿いにそびえ立つプラハ城は世界でも最も大きく古い城の一つ.。
9世紀にボジブォイ王が建てた城に始まり、14世のカレル4世の時代にほぼ、現在の形、
16世紀末に、ハプスブルク家のルドルフ2世がプラハにに宮廷を置いた事で、全盛期。
しかし、次のマティアス王が宮廷を再び、ウイーンに戻した事で、城の繁栄は、止まります。
マリア・テレシラがの時代に大改革が行われたものの、その後衰退。
1918年にチェコスロブァキア共和国が成立すると、大統領官邸となり、現在も建物の一部は、
大統領府と、なっています。
城は、東西に長く、周囲は城壁に囲まれ、広い敷地内には、ゴシック様式の聖ヴィート大聖堂や
ロマネスク様式の聖イジー教会のバシリカと修道院、そして宮殿、庭園、尖塔が含まれており、旧王宮、
聖イジー修道院、国立美術館、ロブコヴィツ宮殿などが集まっています。


入口は、3か所あり、フラチャニ広場に面した西の正門と、マラー・ストラナ側の東門、城庭園側の北門です。
それぞれに衛兵さん2人が番。
記念写真を撮り、中に入っていくと、‥
立派な建築物に感動!


中庭にある噴水。夜間にはライトアップも‥見てみたかった。






   

ゴシック様式の重厚な建物



聖ヴィート教会
城内で最も高くそびえる聖ヴィート大聖堂は、
カレル4世の時代から増改築が繰り返され、1929年に完成したものです。

壮大なゴシック様式の姿に圧倒されました。
丸いバラ窓は、中から見ると、とても綺麗なステンドグラスでした。





9時会場ですが‥なかなか、開きませんでした。‥時間に少しルーズ!
やっと、入れた聖ヴィート教会内部は、ステンドグラスが見どころ、綺麗でした。
写真が綺麗に撮れてなかったのが、残念!


 
         ↓アール・ヌーヴォーを代表するアルフォンス・ミュシャ作のステンドグラスの画像は、ネットより借りました。  バラ窓↓           
  






入り口にある「ギガントの門」。


こんな風景もパチリ!


この坂道は、【のだめカンタービレ】や、深津絵里さんのCMで、お馴染みな場所だと、ガイドさんに教えてもらいました。
【のだめ】は、中国でも有名?み〜んな写真撮影していました。しかも長い。動かない!( ;∀;)












坂を下りカレル橋まで歩きながら観光







スターバックス発見!





火薬塔が見えてます。










 

旧市街と、プラハ城を結ぶ
 カレル橋
歩きながらの風景

















カレル橋メモ
ヴルタヴァ川(ドイツ語名は、モルダウ川)に架かる橋としては、最古の歴史をもつ、ゴシック様式の石橋。
建築家ペトル・パルレーシュの設計。
1357年にカレル4世の命で建設が始まり、約60年かけて完成。全長520m、幅10m、アーチの総数は、15。
橋の両側の欄干には、30体の聖者や歴史上の人物の彫像(多くは、バロック様式)が、並んでいる。
後にローマのサンタンジェロ城に架かる橋のモデルとなったといわれていわれているそうです。

ネットより引用 





カレル橋に行くと、ヤン・ネポムツキー像の下のプレートを触りに行く人が多いようです。

聖ヤン・ネポムッキーメモ
14世紀のボヘミアの司祭で、ローマ・カトリック教会の 聖人。
ヴァーツラフ4世の王妃の懺悔内容を厳守した事により、王の怒りに触れ、
ヴァルタヴァ川へ投げ落とされ、殺害されたと‥ガイドさんより

↓聖ヤン・ネポムツキー像の台座部分のレリーフに触ると、幸運が訪れると伝えられているそうです。
観光客が、沢山集まっていました。私も撫でてきました。


とても、素晴らしい眺め。



















旧市街広場


旧市庁舎
旧市街広場の南西に立つゴシック様式の建物。壁にある天文時計(仕掛け人形))の前には、1時間ごとに観光客が集まります。






立派な旧市庁舎に仕掛け時計〜でも、しかけは、とっても地味でした。 ←クリック






市場〜お土産屋さんも、たくさん並んでいました。






    



ホットドッグ、美味しかったです。
















中欧では、セグウェーを多くみかけました。


ミュシャ美術館では、ちょっとしたトラブルが‥

今回、中欧では、ほとんどの所で チケットは、シニア割引で購入できました。,
ミュシャ美術館でも、同じくシニアチケットで購入すると、チケットは、アダルトになっていました。
(確かにシニアと、言っていたし、パスポートも見せたのに‥(-_-;))
間違っていると、夫が言っても、受付の女性は、首を振り、話にならない。‥夫も譲らない。夫と受付の人のやりとりを見て、‥
私は、言葉も通じないし、もういいじゃないと、夫に言おうとすると、やり取りを見ていたすぐ後ろの若い男女が、
チケットを2枚シニアで、買い、交換しようと言ってくれました。
‥言葉は、通じなかったですが、差額を渡してくれ、シニアチケットと、交換しました。
日本語は、話してませんでしたが、韓国の人かな〜?親切なお二人でした。
お礼を言って、中の見学をする事ができました。

 ミュシャ美術館
(アルフォンス・ミュジャ 1860〜1939)チェコの偉人
アール・ヌーボー
(花や曲線を組み合わせた自由な装飾性に特徴がある美術運動)
を代表するグラフィック・デザイナー
プラハ城の中にもミュシャ作のステンドグラスがありました。
館内は、以外と小さく、写真撮影は、禁止でした。

画像は、ネットより






市民会館
旧市街に立つアール・ヌーブォー建築の傑作。
ガラスのドームをいただくスメタナホールは、1,200人収容可能なコンサートホール。
2階のサロンは、ミュシャの壁画など華麗な装飾が見事。みゅかいのサロンは、
 



ネットより‥正面は、こんなに綺麗

市民会館の中は、



  

  









とても、綺麗でした。









  高さ70mの旧市庁舎の塔よりの眺め
プラハ市街が良く見渡せます。‥お勧めです。








ティーン教会と旧市街広場


  











プラハ中央駅‥中は、集合時間が迫り、見られず ここで自由時間も終わり、火薬塔へ向かいます。



 火薬塔メモ
15世紀終わりごろにプラハの旧市街の入り口として建てられた門。塔はゴシックの終わりごろとルネサンスのはじめごろに建設されたので
両方の建築様式の特徴や飾りスタイルをここで見ることができます。17世紀に火薬置き場として塔を使ったので塔はその時代から火薬塔と呼ばれます。
19世紀に塔の建て直しが行われました。現在の塔の高さは65メートルです。
    186段の階段を上がると44メートルの高いところから旧市街やプラハ城の景色を見られるそうです。


市民会館


 プラハの春 メモ 
1968年チェコのプラハで起きた【プラハの春】について、YaHoo 知恵袋より
1968年(私は、中学生でした。)
第2次世界大戦後、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ポーランドなどの東ヨーロッパは、ソ連の影響下にある共産主義国家。

しかし、チェコにおいては、経済は低迷し、言論の自由はなく、人々には不満が渦巻いていました。

1968年1月、チェコの共産党は、それまで国を指導してきたノヴォトニーを追放し、改革派のドプチェクを指導者である共産党第一書記に選びました。
ドプチェクは、改革に踏み切り、検閲の廃止、旅行の自由、言論の自由などの政策を実行しようとしました。

こうした自由化に対して、ソ連は拒絶反応を示し、さらに、チェコの69人の市民が、
「二千語宣言」と呼ばれる、より急進的な改革を提言すると、ソ連の怒りも頂点に達しました。

1968年8月20日午後11時に、ソ連軍を主力とするワルシャワ条約機構軍が、チェコに攻め入りました。
兵士145,000人、飛行機800機、戦車7000両が投入されました。チェコの市民は、首都プラハの道路にバリケードを作り、抵抗しましたが、圧倒的なソ連軍の前に、鎮圧されます。ドプチェクはソ連軍に逮捕されます。

そのあと、チェコは、1989年の「ビロード革命」により、により共産党政権は崩壊し、民主主義が確立するまで、長い共産主義の時代が続きました。

ソ連の影響下に戻った暗い時代に入る前の、1968年の自由だった時期を「プラハの春」と呼びます。
現地のスロバキアのガイドさんが、今は、自由で幸せ〜だと、話していました。



エアーポートホテル連泊
夕食は、目の前のプラハ空港へ
中欧へF